マーケティング戦略

無意識を動かす「センサリーマーケティング」[後編]――未知の記憶への働きかけ

記事内容の要約

  • Windowsの起動音が結果的にブランドエンゲージメントに貢献しように、センサリーマーケティングの実践例と呼べるものは多く存在する
  • 匂いや音楽には、人を「元気にする」ものや「落ち着いた気分にさせる」ものなど、さまざまな種類があり、それらどう組み合わせて顧客の行動を促進させられるかは研究段階にある
  • デジタル領域の施策等で見落としがちな「感覚」に対する視点を補うのがセンサリーマーケティングの役割のひとつである
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この記事の前編を読む

五感を刺激して、人間の“無意識”に働きかけ、購買行動に影響を与えようとする「センサリーマーケティング」。センサリーマーケティング研究の第一人者である早稲田大学教授の恩藏直人氏は、「これまでの広告コミュニケーション・マーケティング活動を進化させるかもしれない」と、その可能性に期待を寄せる。ただ、センサリーマーケティングの研究は現在進行形で、未知な部分も多い。企業がセンサリーマーケティングへの取り組みを検討する場合、どのような課題があるのだろうか。

センサリーマーケティングにはどのような事例があるのか

センサリーマーケティングの具体的な事例の1つに、1995年に発表された、米国ラスベガスのカジノで実施された「香りがカジノの利用金額にどのような影響を与えるか」という実験がある。早稲田大学商学部教授の恩藏直人氏は、この事例について次のように説明する。

「この実験は、好感度が同程度の2種類の香りをカジノ内の別々の場所で流し、香りによって客の利用金額に違いが出るのかを調べようというものです。結果として、一方の香りにおいて客の利用金額に明らかな増加が生じました。つまり、一方の香りには、もう一方の香りよりも、多額のお金を賭けさせるという効果があったわけです。

コーヒーの香りを漂わせてコーヒーを飲みたくさせる、という人の記憶に直接訴えかける策が有効であることはすでに知られています。しかし、カジノでの体験を感じられる匂いなどないわけです。まさにこの研究結果は、個人の記憶や商品とは無関係な五感への刺激が、顧客行動に影響を与えられることを示すセンサリーマーケティングの象徴的な例だといえます」(恩藏氏)


早稲田大学商学学術院長教授 博士(商学) 恩藏直人氏

世の中のマーケティング担当者が人間の五感をどれだけ意識しているかは定かではないが、実は結果的にセンサリーマーケティングの事例と呼べるものは多くある。

センサリーマーケティング研究のパイオニアとして知られる、ミシガン大学のアラドナ・クリシュナ教授の著書『感覚マーケティング――顧客の五感が買い物に影響を与える』(*1)で記されている例を見てみよう。

同書では、アップルの音楽プレーヤー「iPod Touch」は、「音楽を聴く」という製品本来の目的や価値とは別に、「画面をタッチする」という新しい感覚(触覚の体験)と「Touch」という製品名によって、ブランドロイヤルティーの醸成に成功した例だとされている。またWindowsの起動音は、単なる効果音を超えて、企業と強く結びついた感覚(聴覚)的シグネチャーであるとも述べている。

これらは開発チームやデザイナーが特に意識することなく行っていた従来の取り組みだが、センサリーマーケティングという視点でとらえ直すことで、新しい気付きが得られるはずだ。

視覚、嗅覚、聴覚に訴えるハンズマン

前編で述べたとおり、従来の五感に訴えるマーケティング手法にはないセンサリーマーケティングの新しさの1つには、五感に関わる要素を複合的に捉えようというものがある。そして、複数の感覚を組み合わせた事例としては、やはり空間や具体的な事物のある実店舗がわかりやすい。そこで恩藏氏が挙げたのは、九州地方で展開するDIYホームセンター「ハンズマン」の店舗だ。

「ハンズマンの店舗は、視覚、聴覚、嗅覚を刺激するセンサリーマーケティングを実践しているわかりやすい例です。まず店内に足を踏み入れると、木製の床からワックスの匂いが漂ってくるのですが、私の世代だと学校を思い出して懐かしさを感じます。匂いは、脳の記憶をつかさどる部分と密接に結びついており、個々の商品とは無関係な刺激でありながらも、ハンズマンでの体験が“楽しかった思い出”として強く記憶に刷り込まれることになります。

そして、商品の陳列方法も個性的かつユニーク。見た目が重そうな商品ほど上の棚に積むようにして、まるで重力に逆らうかのようなインパクトを与えています。また、商品パッケージの色にも配慮して並べており、暖色系を入り口手前に、寒色系を店奥にすることで、店内を広く感じさせています。


ハンズマン店内の様子

さらに、BGMとして店のテーマソングを大音量で響かせる一方で、店内にある噴水の音も聞かせることで癒やしの効果を与えます。さまざまな要素が複合的に組み合わさって来店客の五感を刺激しているわけです。このようなハンズマンの取り組みからは、五感への訴求によるブランディングや集客の効果を想像できるのではないでしょうか」(恩藏氏)

企業での導入・活用に向けた基礎づくり

いくつかの事例を紹介してきたが、では、企業のマーケターは、具体的にセンサリーマーケティングをどのように活用できるだろうか。

前編でも触れたように、感覚刺激による人間の行動メカニズムは完全に解明できているわけではない。五感を刺激する要素はいくつもあり、それらの組み合わせが購買行動などにどのような影響を与えるかは、地道に検証してノウハウを蓄積していく必要がある。

とはいえ、まったくゼロからのスタートというわけでもなく、ある程度の理論体系はできていると恩藏氏は語る。

「どのような香りや色、音が人を元気にするのか、あるいは落ち着かせるのかという傾向は過去の研究によって解明されつつあります。また、『元気が出る香り』と『気分を落ち着かせる音楽』を組み合わせるより、『元気が出る香り』と『元気が出る音楽』の組み合わせのほうが購買につながる可能性が高い、という相性についてもわかってきています。ただし、感覚を刺激する要素は無数にあるので、それらを個別に丁寧に精査していく必要があります。

イメージ図
相性のよい刺激の要素はわかりつつある

私は、いくつかの実験プロジェクトに参加していますが、その1つは、スーパーマーケットの買い物かごの色によって、客の購買行動に違いが出るのかという実験です。違いが出るとすれば、それは全体の売り上げなのか、あるいは特定の商品が売れるようになるのか。さらに購入者の属性とは関係があるのかなど、仮説はいろいろ考えられます」(恩藏氏)

このほかにも恩藏氏は、「人間は、柔らかいイスに座っているほうが、物事を受け入れやすい」という考えに基づいた実証実験にも取り組んでいる。具体的には、ある靴店で柔らかさの異なるイスを3種類置き、靴を試し履きする客の行動にどう違いが出るかという調査だ。従来の考えに基づけば、柔らかいイスのほうが商品購入に至るケースが多いことが期待される。

また、作業空間の香りやBGMによって、作業効率が向上したり、共同作業がはかどったりするという仮説も立てられる。センサリーマーケティングには、購買行動以外にもさまざまな可能性が考えられるのだ。

デジタルマーケティングへの新しい視点

従来のマーケティングでは、「消費者は必ずしも仮説どおりの行動をとるわけではないが、その行動の裏には、基本的には合理的な理由がある」ということを前提としている。しかし、実際は合理的な行動プロセスを超えた行動もとるのが人間である。

恩藏氏は、「デジタルが強力で有益なものであることは確か。今日、デジタルやデータ分析による最適化が行き過ぎているとも感じます。一歩踏みとどまって考え、人間らしさを意識し、見直すのがセンサリーマーケティングといえます」と語る。

ただし、センサリーマーケティングは、デジタルの対極にあるものではない。デジタルを含めた従来のマーケティング手法で見落とされたり、意識されなかったりした「感覚」という視点を追加するものといえる。他方、センシングデバイスやIoT、データ分析といったデジタル技術は、捉えにくい「感覚」によるマーケティング効果を測る方法として生かされる。

恩藏氏はさらに、目の前の施策や効果だけではなく、マーケティング本来の視点で捉えると、センサリーマーケティングのより深い意義が見えてくると語る。

「そもそもマーケティング活動とは、単なる市場調査や購買促進施策を行うだけでなく、企業として顧客にとっての価値を生み出すことを考える段階から始まります。

当然センサリーマーケティングも、顧客にとっての価値を生み出すことから考えなくてはいけません。ある高級自動車メーカーは、心地よいドアの開閉音にこだわった研究開発に年間数億円を投資していますが、感覚にどのような刺激を与えるかという観点なので、これもセンサリーマーケティングの一部といえます。人の無意識な行動メカニズムを解明しようというセンサリーマーケティングについて考えることは、これまでのマーケティング活動を根本から整理することにもなるはずです」(恩藏氏)

人の「無意識」を捉えて、データを積み上げて、人の心を少しずつ可視化していく。センサリーマーケティングの取り組みは、まさに「人間を知ること」そのものだ。そこで得られる成果はマーケティング施策への応用にとどまらず、顧客との接し方、ひいては企業活動そのものにも生きてくるだろう。

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注釈:
(*1)有斐閣、平木いくみ他訳、2016年刊。本書を翻訳した3人は、恩藏氏の研究室に所属していた人物であり、現在もセンサリーマーケティングに関する共同研究を行っている。また、恩藏氏は本書に解説文を寄稿している。

プロフィール

早稲田大学商学学術院長教授 博士(商学) 恩藏 直人氏

1982年早稲田大学商学部を卒業後、同大学大学院へ進学。その後、早稲田大学商学部助手、専任講師を経て1996年より教授。2008年~2012年早稲田大学商学学術院長兼商学部長、2013年から早稲田大学理事、広報室長。主な著作に『マーケティングに強くなる』(ちくま新書)など。

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